imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

同じ反応をしてしまうこと 同一刺激同一反応

喋っていると時々あるのだけれど、ある話題になると必ず同じ反応をする人たちがいる。 人は全体として統合された一つの人格を持っているのだから、同じ刺激に対して同じ反応をするのは当たり前なのだが、その時々によって前提が違っている。にもかかわらず同じ反応をするのはどういうことだろう。

幼稚園や小学生の頃を思い出すと、とにかく目の前のことに対応しなければならなかった。 それが自分にとって納得のいく正しいと思われる反応でなかったとしても、どうにかしてその場をやり過ごさなければならなかった。反応の内容を吟味している余裕はなかったし、能力もなかった。 その場で苦境に陥らないために、嫌な思いをしない為に手に入れた反応は、その後も条件反射的に使うようになっていっただろう。
特段の困難を経験しない限り、その条件反射を変更することはない。 故に何も考えていなければ、長じてもその条件反射に頼ることになる。
つまり大人が人と対面して反応している時の根拠が、子供の頃に何とかその場をやり過ごすために手に入れた条件反射に頼っていることになる。
これが、前提が異なっているにもかかわらず、同一刺激同一反応になってしまう理由だと思う。子供の頃からの繰り返しによって無意識の領域に太い回路が出来上がっているのだと思う。