小林秀雄の『無常ということ』

本居宣長に興味が湧いて『古事記伝』を読みたいと思ったのだけれど、とっつきが悪いのでとりあえず小林秀雄の『本居宣長』を読み始めた。

ところが本居宣長本人のところまで、なかなかたどり着かない。山鹿素行から始まって伊藤仁斎荻生徂徠賀茂真淵と辿ったあとに漸く本人にたどり着いた。 表現方法も直接的に説明するのではなく、左から近づいたり右から近づいたりとまどろっこしい。

そもそも小林秀雄とはどんな人なのだろう、と興味が湧いて、彼の有名な評論『無常ということ』を読んでみた。

前置き
1942年6月39歳の時に発表された非常に短い文章である。全文を読むのに5分もかからない。 この年の6月5日から7日にかけてミッドウェー海戦が行われている。

本文意訳
『生死無常なのでこの世のことはどうでも良い、来世を助けてください』(古典より引用)

景色をぼんやり眺めていると、突然この短文が絵巻物のように心に浮かび、ひどく心が動いた。 その時はただ或る満ち足りた時間があったことを思い出していただけだった。 その時間は、自分が生きている証拠だけが充満していた。

歴史ヘの新しい解釈は不要である。 歴史は動かし難く美しい。 解釈を拒絶して動じない。 死人は、はっきりとしっかりとして来る。 生きている人間は、自分のことも他人のことも何を考えているか分からない。 一種の動物のようなものだ。

記憶だけで頭をいっぱいにしているから動物にとどまる。心を虚しくして思い出すのが大切だ。

無常とは動物的状態だ。 無常ということが分かっていないのは、常なるものを見失ったからだ 。

感想
・前置き
やはりわかりづらい。“ 記憶”と“思い出す”が対照的な意味として使われているが、具体的な説明はない。想像すると、記憶とは生きてる私達が創り出すもので、思い出すは死んで歴史になった人たちが語り掛けてくるもの、だと思う。
他にも、生死無常は仏教用語では人生の儚さを意味するが、ここでは別の意味で使われていることが示唆されている。が、直接の説明はない。

・ 解釈
無常と常なるものが対比されている。 無常に属するものとして今・解釈・動物状態・記憶があり、常なるものに属するものとしては歴史・堂々として美しい・ありのまま・思い出すがある。
無常とは一般的には儚いことを意味するが、上記の対比を考えるとそれでは意味が合わない。 私は、私欲に翻弄されること、と解釈する。

批評の内容はある意味明瞭で、私欲を去って心を空っぽにして向かい合えば、常なるもの・歴史の魂を感じることができるのだ、ということだろう。

・分析
古典からの引用を起点にして無常について述べているのだが、ここには引用した古典に発する二つの流れがある。
1 古典の中の“生死無常”から、無常ということについて考えた。 生きてる人は私欲に翻弄された一種の動物なのだろう。
2 心を虚しうしていたら、突然或る古典の一節が思い浮かんで歴史の魂に触れた実感を得た。 解釈などせずに心を空っぽにすることこそが大切だ。

この二つは文中、はっきりとは区別されず不明瞭に接続している。そのことが分かりにくさの原因の一つになっている。

さらに、古典から導いたこの二つをつなぐものとして、鴎外や宣長の作品を例にとり、歴史は解釈を拒絶して動じない美しいもの、という経験を述べる。 これによって、生死無常なので生きてる人は一種の動物であるが、幸いなことに歴史は解釈を拒絶して動じないので、心を虚しくすれば歴史の魂に接することができるのだ、とつながることになる。

・疑問
小林秀雄の言いたかったことは、現代から過去の歴史を見る時の心構えだった。 しかし冒頭に引用した古典は、現世を諦めて来世を気にする女の話だ。 現世は儚いのでもう諦めたが、来世はなんとか救われたい、という話だ。心を虚しうすれば来世を見る心構えができる、という内容ではない。この話から過去への類推は不自然な感じがする。あえて批評本文との関連を探せば、生死無常を信じた女がいるだけだ。しかもその生死無常の意味は小林秀雄の意味とはズレている。小林秀雄は生死無常という言葉だけを起点にして、話を進めたように見える。
批評に書いてあるように、本当に景色をぼんやり眺めていたら、突然この古典が心に浮かんだのかもしれない。

・終わりに
最初に読んだ時は全く意味が取れなかった。 文章の構造も分からなかった。雰囲気だけが伝わった。 悔しかったので時間をかけて真剣に考えてみた。 全く違う読み方があるのかも知れない。 それほどに直接に明示しない表現方法だった。

ただの奇を衒った批評家なのかとも思ったが、調べてみると柄谷行人などそうそうたる人たちが小林秀雄論を書いているので、とりあえず真剣に読んでみることにした。

この批評を読んだ私の印象は、小林秀雄とは父権、強い者に対する反発があるように思う。
また豊かな感覚を持っているが、あまり論理的ではない可能性がある。