心揺さぶる外国旅行 または非日常での自己崩壊

大学を卒業した1986年春、私は人生初めての外国旅行に出かけた。 最初の目的地はタイだったが、地球の歩き方のタイ版はまだ刊行されていなかった。東南アジア版と言うくくりで刊行されていた。
バンコクのホテルもレストランもわずかしか紹介されておらず、とりあえず最安値の宿を目指して出かけた。 もちろん予約などできない。
バンコクの空港に着いて飛行機のドアを出た途端、生温かいそして独特の甘い匂いの空気に包まれた。
バンコクでは見るもの聞くものすべてが珍しかった。 知らない料理だらけで、どうやって作るのか全く見当がつかなかった。 熱帯の暑さの中、異様に元気なタイ人が街に屋台街に溢れていた。 私は彼らに圧倒された。タイ人に混じって満員のバスに汗をかきながら乗っているだけで、腹の底からどうしようもなく笑いがこみ上げて来た。 タイ人に紛れて街に溶け込んでいるのがとにかく楽しくて仕方がなかった。
私は初めての外国旅行の地、タイに魂を鷲づかみにされた。 非日常の世界(彼らにすれば日常なのだが)で、体から自分を溢れ出させた人たちに気おされた。 強烈な何ものかを心に刻印された。

数年前に久しぶりに外国旅行に出かけた。 旅行の方法が全く変わっていた。大金の所持方法、 飛行機の予約、宿の予約、安くて美味しいレストランの探し方、目的地までの交通手段の探し方と乗り方、街の地図情報、片言の旅行者会話、天気予報。
その気になれば行く前に全ての行程を予約することもできた。
とても便利になっていてつくづく技術の進歩に感心した。

しかし今回の旅行はあの時の旅行ほど激しく心を揺さぶられることはなかった。 理由の一つは年を取って感覚が摩滅していたのだろう。 初めての経験ではなかったということもあるだろう。 旅行先の人々が豊かになって、日本と似たような価値観を持つようになっていた、ということもあるだろう。
しかし最大の理由は便利になったことだと思う。 行く前におおよその予測できるのだ。 予測できればできるほど不安は減っていく。 快適なのだ。 その分、人との関わりが激減した。
快適の中身は
1 出費の抑制。 高い交通機関や宿を避けれるようになった。
2 体力消耗の抑制。 大きな荷物を持って、しばしば猛暑の中、人に尋ねて歩き回らなくて済むようになった。
3 騙されて腹が立つことの抑制。 行く前に多くの情報に接することで、騙されることが格段に減った。
このことと引き換えに心揺さぶられる体験ができなくなったのだと思う。 では心揺さぶられる体験のために、この3つの快適を諦めることができるか。 私には到底できない。 一度手に入れた便利さを手放すことは非常に困難だ。

この時代に初めて外国旅行をする若者は、心揺さぶられる経験をするという点でかなりハンディを負っていると思う。 腑抜けになるような経験をするのはかなりハードルが高い。 それが今の若者に熱狂的な旅行フリークが減っている一つの理由だと思う。
かって外国旅行は非日常の自己崩壊を経験する重要な場の1つだった。 そのような場が社会から1つ1つ消滅している。

私を食い尽くすようなビビッド感は今でも私の心の中にある。