imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

死は生に何をもたらすか

人はいづれ死ぬという意識は生に何をもたらすだろう
1 自分の死について
2 仲間の死について

1 自分がいづれ死ぬと言うことを意識すると人生にどのような影響を与えるだろう。
1)生の有限さを自覚するだろう。 それは以下の二つを生み出す。
1))生への執着 限られた人生を最大限に楽しもうと言う気持ち。 つまり欲望の最大化。 欲望の内容は利己も利他もあり得るが多くの場合は利己に傾くだろう。
2))やり直し機会の減少を意識する。 好きなだけ試行錯誤はできないという気持ち、それは物事の選択を慎重にさせる。 つまり利己であろうと利他であろうと効果の最大化を目指させるだろう。

2)死後の世界の予感 死んだ後どうなるかということに意識を向けさせる。 生の世界と死後の世界の関係を意識するだろう。 通常それは因果応報的な考えに落ち着く。 この世で良いことをしておけば、あの世でいいことが起こるだろう。 ゆえにそれは生の世界で善を成す契機になるだろう。 善とはすなわち利他のことだ。

3)死の恐怖 つい100年ほど前までは、人はひどく苦しんで、そして簡単に死んだ。 解熱剤もなく、 痛み止めもなく、 下痢止めもなく、 点滴も 抗生物質も、 ワクチンも。 そして多くの人は栄養のある食べ物も摂取できずに死んでいった。 身近な人が苦しんで死んでいくのを見ることは恐ろしいことだったに違いない。 自分では制御できない苦しい死への怖れは超越的なものにすがる心を生み出したと思う。 それは自己の卑小性を自覚させ、謙虚さの動機づけになった。謙虚さとは自分を一番に考えないことだから、利他行為につながる。

4 )残される人への思い 自分が死んだ後の残された大切な人たちのことを考えるだろう。 当然、それは利他行為を後押しする。

2 仲間の死を意識すれば共に過ごす時間は当然貴重になる いつか去り行く仲間を生きているうちに大切にしようという気持ちになるだろう つまり仲間の死を意識すれば利他に働く。

結論 自分の生の有限さに焦点を当てた場合は利己も利他もあり得るが、死に焦点を当てた場合は利他行為の動機づけになる。 他者の生の有限さも利他に傾く。

以上、 利己行為は生物の基本形でヒトも例外なく持っているが、死の意識は、利己行為だけでなく、利他行為(回り回っての利己行為)の動機付けになってきたと思う。

補足
現在、死に対するイメージが変わってきている。
1 先進国では宗教の影響力が弱まってきているが、 死後の世界のために現世で善を積もうと言う動機づけも弱くなってきているし、そもそも死後の世界の存在を信じない人も多い。
2 死の苦しみも以前に比べるとかなり軽減されてきた。 恐ろしい痛みもかなりコントロールできるようになった。 相変わらず死自体は理解不能なものとして存在するが、死に至るまでの苦しみは以前ほど力を持たなくなった。

この両者の変化が現代の利他意識に微妙に影を落としていると思う。