エッセイ 福袋の思想

人類は二種類に分けられる。 テレビを見る人と見ない人 お寿司の好きな人とそうでない人 ピアノを弾く人とひかない人 将棋の好きな人とそうでない人
そういう分け方の一つに福袋を買う人と買わない人がある。 人が物を買う時は具体的に欲しいものがあるから買う。 商品を手にとってきちんと物を確認してからお金を払う。 しかし福袋は違う。 服屋が出した福袋には服が入っているだろうが、どんな服が入っているかは分からない。 福袋に入っている商品の合計額より福袋の値段が安いからと言っても、その中には使わない物も入っているだろう。 ならば気に入った服を一点だけ買った方が福袋を買うより結局は安くなるのではないか。 しかし福袋を買う人はそうは考えないのである。 何が入っているか分からない、そのワクワクにお金を払うのだ。 つまり偶有性に身を任せているのだと思う。
ガチャポンも同じ要素が含まれている。ガチャポンを買わない人から見れば、どれが出てくるか分からないので馬鹿らしくてお金を入れる気にならない。しかしガチャポンを買う人はどれが出てくるかわからない、そのワクワクにもお金を払っているのだ。

待つのは人に限らないが、人は好く" 待つ" 生き物である。夜明けを待つ 友との再会を待つ 合格通知を待つ 雨を待つ 魚が釣れるのを待つ
待つとは、希望の実現を予測してそこに意識を傾けることだ。
予測するということはそこに不確実性が入り込む。実現するかもしれないし、しないかもしれない。100%実現することが分かっていたなら人は興味を失って待たないだろう。
必ず夜は明ける。 だから必ず夜明けは実現する。夜が明けること自体を待つ人はいないと思う。夜が明けるのは確実だからだ。人が夜明けを待つのは、美しい朝焼けや日の出を見たいからだろう。だが夜明けが必ず美しいかどうかは分からない。その不確実性が人を待たせるのだと思う。
この不確実性を楽しむことと、福袋の偶有性を楽しむことは通底していると思う。
どうなるか分からないことを私たちはどれだけワクワクしながら楽しめるだろうか。