ひと目を気にする

神戸に来てからますます日本人ぽくなり、ひと目を気にするようになっている。子供のときから培われた性格と今囲まれている環境によってまた人目を気にするようになっている。全くクソったれだ。何ゆえに私が、見も知らない人が私のことをどう思うか気にしなければならないのだ。
お互い気を遣い合っているのが伝播してくる。その反動として親しい人の間では必ず垣根が低くなるだろう。
村社会がそのまま都市化したからか、それとも何か合理的な理由があるのか。
自分の自由を抑圧し、他人の自由も拘束する。そのことによって住みやすい社会を実現する。公共空間で自由だけれどノイズが多くストレスな社会より、公共空間で不自由でストレスだけどノイズの少ない社会を好む。結局公共空間ではどこかでストレスを感じざるを得ない。それをどこにするかだ。中南米社会では、自由に振る舞うけど相手の自由も我慢して受け入れる。日本ではひと目を気にして行動するが、公共空間では比較的快適に過ごせる。