利他行為が価値観を生んだ

人は色んなこだわりを持って生きている。例えば朝起きたらコーヒーを淹れて飲む、外出するときはジャケットを着る、食事のときは好きな物から食べ始める、遊びは本気でする等など。
こだわりとは意識的に選んだものだ。無意識から立ち上がる依存や癖とは違う。
こだわりの全くない生き方とはどんなものだろう。自分で全く選ばないのだから、周囲にすべて合わせる。流れのままに生きることになる。つまり楽な生き方だ。
こだわるとは周囲とは異なることを選ぶこと、流れに逆らうことだ。それは楽なことではない。楽を選ばないとは、快から遠ざかることだ。故にそこだけ見れば反利己なのだ。

今はこだわりを持ってそれを実現することは自己実現になり必ずしも反利己にはならない。しかし歴史的に遡れば、最初にこだわりを持つようになったとき、それは快から遠ざかり、故に利己的な行為ではなかった。つまり不自然な行為だったのだ。


ではなぜ人はこだわりを持つようになったのか。
リターンを意識しない利他行為を獲得したとき、ヒトは戦闘や生産に、より有利な大きな集団を作れるようになった。反利己行為である利他行為の獲得が反利己行為であるこだわりの獲得を容易にしたのだと思う。

こだわりとは価値のことだ。ひいてはその優劣順位である価値観のことだ。
つまりヒトは利他行為を獲得したとき、価値観を手に入れる準備ができたのだと思う。