imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

ストレスと行動

お腹が減ったので食事をする。
これを分節すると、まず、ひもじい、というストレスがかかり、心がたわむ。別の言葉でいうと、自己の全体性が毀損される。するとそのたわみを戻そうとする、つまり全体性の回復欲求が生じ、結果、行動する。つまり食事をする、そしてストレスが解消する。これで一つのサイクルが完結。

要約すると、ストレスを感じ、自己の全体性が毀損され、その回復欲求が生じ、行動し、ストレスは解消される。

しかし直接解消できないストレスもある。ある人とお喋りしていて、何となく嫌な気持ちなのだけど、中断するほどでもない。
この場合、半無意識状態でストレスがかかっていて、解消できずに蓄積していく。この半無意識下で生じているストレスも全体性を毀損するので、回復欲求が生じる。半無意識下で生じた回復欲求は半無意識状態の行動によって解消されるしかない。依存や癖などだ。何となく落ち着かないのでコーヒーを飲む、お酒を飲む、部屋の掃除をする、髪の毛を触る、頭を掻く等々。

特に人からのストレスの場合、かかったストレスの全てを解消しようと、不快なことを指摘したり、その人から遠ざかると、人との関係を作るのが難しくなり、大切な他者承認が得れなくなるので、より意識に登りにくくなっている。

全体性の毀損とその回復欲求は生物の自己保存に必須な機能だ。ヒトは全体性の毀損を仮想身体への侵害として認識していると思う。これによって、物理的な侵害だけでなく、精神的、抽象的侵害にも対応している。

半無意識下でのストレスについて考える。
種類としては以下の3つ。
1 侵害 仮想身体を侵害されるのでストレスになる。物理的な身体を侵害されるのと同じ。具体には、見下される、不必要にジロジロ見られる等など。

2 不安 不安は2種類に分ける。
1) 未来を予測できないことへの不安。言い替えると未来への悪い予感。悪い予感はストレスになる。
2) 漠然とした不安。言い替えると何かに侵害されそうな予感、心細さ。小さな自分が基になっている。侵害の予感はストレスになる。

3 未達成 達成可能と思っていたものが達成できなかったとき。具体的には、お気に入りのレストランに行ったら満員で入れなかった、コーヒーを淹れて飲もうとしたら豆が切れてた等など。思ったように行かなかった、という気持ち。未達成は不自由感、束縛感が生じ、束縛感はストレスになる。
未達成自体は半無意識下ではなく意識上で感じることだが、ストレスを直接解消できず未達成状態だ、ということ自体が半無意識下でのストレスを生む。

半無意識下で生じたストレスは半無意識下で解消するしかないため、各自に馴染んだ独特の解消法になる。依存や癖などだ。それが個性に結びつくのだと思う。

ヒトは、1次欲求も含めてストレスがなければ行動しないと思う。故に、生きるとはストレスがかかり続けることだ。そして意識上のストレスを解消する過程で、また何もしてなくても半無意識下のストレスを抱えてしまう。
大切なことは、半無意識下のストレスにどう対応するかだ。

以下、対応法をかんたんに言うと、

侵害と不安のストレスの解消法は、例えば仮想身体を拡大して、侵害や不安の原因を取り込んでしまい、自分の世界で安全化する。

未達成のストレスは読み替えで対応できる。例えば、次のときに2倍楽しめるぞ(だから嬉しい)、とか。


恐怖はストレスになるが認識方法が異なり、私にその準備がないので扱わない。