戦争と売買春の類似

戦争と売買春の類似

戦争(武力行使)は社会的に、または倫理的に正しい行為なのか、それとも悪なのか。
もう散々議論され、今も各人各様の見解がある。

日常感覚で言えば、”戦争なんて無くなればいい" なのだけど、政治からの解釈では、国家権力は他国への武力行使権を担保している、ことになっている。

要は無くならないのだ。ある国が他国に武力行使を始めたとき、それを止めるのは実際にはとても難しい。大国ならなおさらだ。だから近代国家は、戦争が無くならないことを前提に、多くの悲惨な被害を出しつつ段階的に戦時国際法を作り上げてきた。つまり戦争を禁止できないなら、そこからの被害を最小限にしましょう、という合意だ。
捕虜虐待の禁止や拷問の禁止、非戦闘員への攻撃の禁止。

しかし戦時国際法ができてさえも、それらは守られていない。身近なところでは広島と長崎の原爆使用や東京大空襲。有名なところでは、ウサマビンラディンの居所を探るためにアメリカ軍がグアンタナモ基地で実行していた、アルカイダ関係者達?に対する水攻めを含む激しい拷問や虐待。

しかし戦時条約の存在のおかげで、法律違反が明らかになれば自国民や他国から非難される。
そしてもちろん戦時条約が無ければおぞましいことになっているだろう。法律の抑止効果は当然ある。

対して売買春はどうか。
売買春は原理的に悪か否か。これももうずっと議論されてきたことだ。で、未だにおおよその合意にさえ国内では達していない。

確かに市民感覚からすれば、いかがわしい雰囲気があるし、公の場で、体験談も言いにくい。
そういう倫理観が売春禁止の法律を作り出したのだろう。

ところが売買春は無くならない。それならば売買春は認めて、そこで発生する被害を最小限にするために法律を作ったか。

ここからが戦争と違うところだ。戦争は無くならないのだから、もしくは国家の権利として遂行できてしまうのだから、とにかく悲惨な被害は減らしましょう、と法律を作ることになった。その法律はしばしば破られているけど、抑止力はある。
ところが売買春は多くの女性の尊厳が奪われ続けているのに、法律が定められてないが故に、その被害はほぼ野放しなのだ。売春という違法行為の過程で起こった犯罪は被害者が届け出にくいからだ。結局は泣き寝入り。

売買春は善か悪か、なんて答えの出ない議論をしてる間に、女性の尊厳が奪われ続けている。
それを避けるためには、国家が一刻も早く売買春を合法化し、かつ国家が売春事業者を管理することだと思う。

被害を防ぐためには合法化しかない。女性の尊厳が奪われているのに、それを見ないで、善だ、悪だと、いつ決着がつくのかわからない議論を続けようとする人たちはどうかと思う。
深刻な被害をよそに、売買春は悪だ、だから禁止法を変えなくていい、と涼しい顔をしている人たちもどうかと思う。