imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ ブログという落書き 2024年4月18日

かつて大学のトイレは落書きで溢れていた。もちろん猥雑な記述もあったが、真面目に書かれた政治的記述もあった。学生運動勧誘の文章もあったと思う。

 

不特定の人たちに自分の書いた文章を読ませるためには、かつては出版か、ビラとして配るか、壁新聞、落書きぐらいしかなく、ビラや壁新聞、落書きは手間や場所の問題があり、かつ手書きの文字は信憑性が低く見られた。落書きは言わでもがな、である。出版はハードルが高く、専門家が専門知識を持って書くものとイメージされていた。

 

しかしインターネットの普及、IT技術革新のお陰で、誰でも簡単に無料でブログを書き、公開できるようになった。

 

差別、誹謗中傷、著作権の侵害、がなければ何でも書ける。書き手はもちろん普通の人である。専門知識を持っていない。辻褄も合わせる必要がない。独りよがりでもよい。0.01%の人しか興味のないことを書いてもよい。手前みその小説を書いてもよい。ほぼ何でもありである。

 

書かない手はないと思う。

 

かつて大学のトイレは落書きで溢れていたけれど、今でも同じだろうか。トイレの壁より、書く面積も圧倒的に広く、しかも時系列に並べていくこともできるブログのほうが満足度が高いと思う。トイレの壁に書いている場合ではないのである。

エッセイ ヨーロッパの広場 2024年4月17日

映画「ピータールー」のブログからの派生である。

 

https://imakokoparadise.blog.jp/archives/24291791.html

 

この虐殺は1819年にマンチェスターで起こった。

映画「ピータールー」の中で、虐殺が起こったのは、、町の中心地ピータールー広場であった。日本語のイメージで言うとセントラル パークである。

そういえば、日本には町の中心に広場が歴史的にない。

中南米はほとんどがスペインの植民地であったが、今も残るかつての植民都市、つまり多くの国の首都や地方都市には、セントラル  パークが町の中心にある。その広場に面して教会や行政庁舎、市場、学校が建っている。今でもその文化遺産を引き継いで、新しい町にもセントラルパークが作られている。

 

セントラルパークの起源を調べてみると、古代ギリシャアゴラが発祥のようだ。民会という直接民主政の会議が行われた重要な場所であった。

古代ローマではフォルムと呼ばれた広場があり、市場としてや、政治集会、宗教行事として使われた。

 

ヨーロッパではその伝統を引き継いで、セントラルパークがあり、マンチェスターでもピータールー広場があった。

ロンドンのハイドパークでは木箱一つを持ってきて、その上に乗って演説を始める人たちがいる、と聞いたことがある。セントラルパークとはそういうものなのだろう。

 

日本では唐の律令制を取り入れ、平城京平安京ともに、町中に市(市場)を設置した。が、それは商用の広場で、政治や宗教目的には使われなかった。つまり中国にも政治集会、宗教行事のためのセントラル パークは無かった。需要が無かったのである。

江戸時代には集会の自由が無かったので、そもそも庶民が集う広場は無く、宗教行事として年に何度か寺院内で集まることが許されているぐらいだった。江戸で広場と言えば、防火目的の広小路があるくらいである。

 

つまり江戸時代、農民が生活の改善を求めてどこかに集まるにも、ピータールーのように7万人も集まる場所がなかった。多分庄屋や代官屋敷の前に集まったのではないか。そもそも寺以外で人が集まることは禁止されていたから、人が集まった時点で、いきなり打ちこわしになったのではないか。

 

日本では主権者がものごとを決めるとき、せいぜい広くて大広間で決めたのである。多くは根回しで決まったのではないか。

もちろん中世、近代のヨーロッパも大広間で決めただろう。しかしそれ以外の方法も模索されていた。多大な犠牲者を出したピータールーでの出来事もそのひとつだ。

 

中国文化圏のものごとの決め方も、時と場合によって、良くも悪くも作用するだろう。同じように、ヨーロッパ文化圏のものごとの決め方も、時と場合によって、良くも悪くも作用するだろう。

 

しかし民主主義の時代では、中国文化圏に馴染んだ私からすると、ヨーロッパ文化圏の方法がひどく羨ましく感じられるのである。

エッセイ 目的と効率 心穏やかに生きるには 2024年4月17日

何から手を付けていいのか分からない時がある。短時間で言えば、調理をするとき、どのタスクをどの順番ですればいいか戸惑う時がある。長期間で言えば、ある資格を取得するとき、何からどの順序で始めればいいか、戸惑う時がある。

 

これは目的が決まっていて、そこに向かう効率的なルートが思い付かないから起こる。つまり効率を求めるから、順番を決めかねて何から始めてよいか分からなくなる。もし効率を求めないのなら、思いついた順に手を付ければよい。結果、悩むことがない。

 

平静な世界が広がるだろう。

 

では調理をする、資格を取る、つまり目的が決まっているとはどういうことか。

 

多くの人は人生に追われていると思う。もちろん私もその一人である。若い頃、生きていくのが面倒に感じることがあった。先日久しぶりに、瞬間ではあったがそんな気分に襲われた。

で、何が起こったのかを内省してみた。分かったのは、「しなければならないことがある」とそのとき頭をよぎっていたことだ。

しなければならないこと、がたくさんあったり、強く迫られていると、生きるのが嫌になるのだと多分思う。

では、なぜしなければならないことがあるのかと言えば、目的があるからである。なぜ目的を持つのかと言えば、よりよく生きたいと思うからだ。より良く、とは、快適に、つまり利己的に、もしくは大切な人の為に、つまり利他的に生きたいと思うからだ。

ではなぜよりよく生きようとするのかと言えば、予想する能力があるからである。予想できるものだから、将来のことを考え、その対策を今とろうとする。「何々しておこう」、とは予想力がなせる業である。

つまり、予想できるから、より良い生き方を思い描き、そのための目的を定め、そして、しなければならないこと、に追われている。場合によっては、生きるのが嫌になる。

 

これはとんでもない矛盾だと思う。

 

今、ここで死んでもいい、もしくは、一生このままここにいて朽ちていってもいい、ともし一瞬でも思えたら、その瞬間は、より良く生きる必要がなくなり、故に目的を持つ必要がなくなり、故にしなければならないこと、から解放される。つまりその瞬間は、平安な世界が広がる。

 

効率を求めず、目的を持たなければ(目的を持たなければ、効率を追求することも出来ないが)、平安な世界が広がるのである。

 

世の中にはオールオアナッシング、100かゼロか志向の人がいるが、その人からすると、効率や目的を持つか持たないかの二択しかなく、持たない選択肢はあり得ないだろうから、今まで通りの生き方になる。

が、世の中には別の志向性の人もいる。100とゼロの間で場所取りできる人だ。その人にとっては上記の記述は参考になると思う。

社会フィルター eコマースで思うこと 2024年4月16日

リアル商店で買い物をする場合、つまり近所で買い物をする場合、ただただ安さだけで商店を決めないことがあるだろう。接客が親切だから、資源リサイクルを心掛けているから、環境に配慮してそうだから、商店街を盛り上げようとしているから、地域の活性化に取り組んでいるから、など贔屓にしている店、応援している店があるだろう。

 

しかしオンライン商店で買い物をする場合、ほぼ値段だけで利用するサイトを選ぶ。アマゾンか、楽天か、ヤフーか、DIYをよくする人なら、モノタロウあたりか。

 

そこではリアル商店のような違いが分からないから、価格で選択するしかない。

商品をふるいにかけるフィルターを見ると、価格、在庫の有無、配達日、カスタマーレビューなどしかない。

 

で、リアル商店を利用するときの選択基準をフィルター機能に追加してはどうか、と思う。接客が親切だ、というのは、カスタマーレビューを見ればおおよそ分かる。他に、環境に配慮しているか、多様性を重視しているか、例えば具体的には、障害者雇用をしているか、フィルターの内容はそれぞれのサイトが客の注目をより浴びやすいと考えるものでいい。

 

社会フィルターがあると、環境に興味のある客や、多様性に興味のある客などを惹きよせることが出来る。 サイトの売り上げ増につながるだろう。

エッセイ 100%素晴らしい人 2024年年4月11日

動画で観たり、本で読んだり、少し距離を置いて接する人に好感を持つことがある。好感を持つので、更に気に留めて情報を集めていくと、ますます好感を持つことになる。気が付けばその人のことを欠点の無い100%素晴らしい人だと思っていることに気が付く。

 

そしてもしその人と親しくなる機会があれば、その人の欠点が見え始めて、そのうちただの人だということを知る。

 

そのような経験を2~3回繰り返せば、多分次回もそうだろう、という予想がつくようになる。

 

多くの人は経験的に納得してその後の人生を、多少は翻弄されながらも生きる。

 

さて、100%素晴らしい人がいない理由を簡単に言うと、100%自分と同じ価値を持った人は世界に存在しないからだ。それだけである。

 

別の言葉で言うと、良いところだけでできている人はいない。欠点の無い人はいない、ということである。

これはよく聞く表現である。この内容を具体的に考えると、良い、とか、悪い、と評価するのは私である。かつ人によって、良い悪いの評価の基準は違う。結局、人によって価値が違う、ということになり、上記と同じことを言っていることになる。

 

なので、何か一つのことが気に入らないから、とか、自分の考えとは違うから、と言ってその人を忌避するのは馬鹿げているし、もったいないことだと思う。むしろ共通する部分が多いことに注目したほうが良い。



以上が100%素晴らしい人がいない根本的理由だが、人には、未知の部分を良いもので埋めよう、とする傾向がある。よく知らない人がいると、その未知の部分を自分の好みで埋めようとするのである。例えば、見知らぬ人と接するときに、たぶん自分と同じ価値を持っているだろう、と思って気安く接してしまうのである。また、既知の部分が気に入れば、未知の部分も好みだろう、と思ってしまう。例えば、美しい後ろ姿だけを見て、容貌も美人かな、と思ってしまう心の働きである。



ところで、世の中には、100%素晴らしい人をしばしば見つけてしまう人がいる。それは以下のことを表現していると思う。

 

自分の心が空虚なので、つい対象物が充実しているように錯覚してしまう。外部にすごいことを期待してしまう。魔法を信じてしまうのである。

 

カサノヴァはこのような人だったのではないか、と思う。

エッセイ ランの根を見て分かること 2024年4月10日

私はコチョウラン、カトレア、デンドロビウムを栽培している。これらのランを栽培して気付いたことを書こうと思う。

コチョウラン

カトレア

デンドロビウム

私が気付いたのは、根の太さとその伸びる向きである

コチョウランの根は太く、かつ2~3年前の葉の付け根、つまり茎の途中から根を出し、栽培条件にもよるのだろうが、多くは空中に向かって根を伸ばす。

根は太くて空中に伸びる

 

カトレアの根はコチョウランよりやや細い。去年の株の根元の少し上から新株を出し、その新株の根元から根を出して、上方向には伸びない。横か下である。

根は少し太くて、上には伸びない



デンドロビウムは更に根が細い。去年の株の根元から新株を出し、その新株の根元からほぼ真下に向かって根を伸ばす。

根は細く、下に伸びる



この差はなぜできたのだろう。私の予想は生育場所の水分条件の差である。

 

コチョウランは水分条件が悪い場所で生育するので、降雨による水分補給をほとんど期待できない。幹に着生しているので、すぐに流れ落ちてしまうのだ。そこで空気中から水分を得ようとして、根のスポンジ質を分厚くした。根は土壌にもぐらないので、太くなっても問題はない。下に向かって根を伸ばす必要がないので、発根場所は茎からである。

生育場所は、種子が発芽するためにはどうしてもある程度の湿度が保たれた場所が必要だが、発芽してしまえば、空気中から水分を補給できるので、より日当たりの良い乾燥した木の幹に茎をのばすことが出来るだろう。



デンドロビウムは樹上性、岩上性であるが、根の形状を見ると、保水条件の良いところで育成しているだろう。つまり根は下向きで細いので、堆積物の中に入り込みやすくなっている。

生育場所の候補としては、岩の割れ目で砂礫が堆積している場所、また腐葉土が少し厚く堆積した木の二股部分などが考えられる。岩の割れ目で生育した場合、強い直射日光に耐える可能性がある。

 

カトレアは両者の中間である。中間の根の太さだから、ある程度空気中からも保水できるようになっているし、柔らかい堆積物の中なら潜り込むこともできる。砂礫では難しいが、腐植質なら入り込める。

生育場所としては、樹上の少し腐植質が溜まる二股部分あたりだろう。たぶん日陰である。

 

と言うようなことが、根の太さと伸びる向きから予想できる。

 

自然はパラメーター(影響する要因)が多いので、形態から生育条件を完全に予想することは出来ないが、想像することはとても楽しい。

エッセイ 素晴らしい世界 2024年4月10日

ふと、素晴らしい世界がどこかにある、と感じることが若い頃からあった。晴れ上がった青空が広がり、何の抑圧もない、ウキウキとした気分が永遠に続くと感じられる世界である。これは私に限らず多くの人が経験しているのではないかと思う。

 

瞬間、すぐそばに感じられるのだけれど、見極めようとするとどんどん離れて行って、彼方に消えてしまう。

 

30代まではそんな世界が何処かに実在すると思っていた。なぜなら瞬間ではあるが、その存在を身近に感じたからである。が、30代後半に認知科学に触れて、結局は自分の認識次第なのだから、認識を変えて素晴らしい世界を自分で作り出すしかない、と思った。それが私のニックネームの「今ここパラダイス」の由来のひとつだ。

 

先日、素晴らしい世界をまた瞬間身近に感じたので、再考してみた。

 

素晴らしい世界は短時間、短期間であれば大切な人との人間関係で得られる。それは大切な他者からの全承認の世界である。自分の存在を丸ごと受け入れてくれるような相手が存在すれば全承認が得られる。しかしそんな関係が永続することはあり得ない。相手も人間なのだから。

 

そこで登場するのが超越的存在である。例えばキリスト教では、神に祝福される、という言葉があるが、これは神による全承認だと思う。そう思えた瞬間、神に祝福された私の人生、を実感する。素晴らしい世界だと思う。漸減するにせよ、これは永遠に続く可能性がある。

仏教ではどうだろう。仏教には超越的存在はいない。関係があるだけである。だから色即是空が成り立つ。つまり自分の認識を変えれば、世界はどうにでも顕現する。全承認の世界も認識次第ということになる。

 

結局のところ、全承認を感じられれば、素晴らしい世界は顕現するだろう。で、素晴らしい世界が顕現したら、何もせず、ただ最高に気分のいい状態で、そのまま餓死してもいいのかも知れない。



しかしそれにしても不思議な話である。自分の大切な人に全承認されると、なぜ素晴らしい世界が現れるのだろう。大切じゃない人ではだめなのか。人でなければだめなのか。自分で作り出した幻想の存在ではだめなのか。

 

それでさえ本人次第なのだと私は思う。近所の人でも、飼っているペットでも、AIロボットでも、自分の脳内に作り出したもう一人の自分でも、その存在に全承認されていると感じ、それが自分の世界を覆いつくしていると思えるなら、素晴らしい世界を感じられると思う。

 

今はまだAIロボットに恋愛感情を抱ける人は珍しいだろうが、そのうち日常になると思う。脳はその程度の柔軟性を持ち合わせていると思う。

エッセイ ランとサボテン 2024年4月9日

ランの仲間に着生ランと呼ばれる生育環境から見た分類がある。樹木の幹に着生して生育するランである。有名どころでは、カトレアやコチョウランだ。

これらのランは何かの理由で土壌から追い出された。で、樹木に着生する生き方に適応した。

着生ランの生育環境の特徴は、貧水分と富湿度である。幹に着生しているので、雨が降ってもすぐに流れ落ちてしまう。帯水することが出来ない。熱帯、亜熱帯によく分布し、湿度の高い場所に多い。アンデス山脈東側斜面の雲霧林はランで有名である。他の条件として日陰で生育する種が多い。

根の形状も空気中の水分を吸収できるように、針金状の根の周りをスポンジ状の組織が分厚く包んでいる。

スポンジ状物質に包まれた根

 

サボテンはよく知られているように、乾燥気候に適応した植物である。その生育環境の特徴は、貧水分と貧湿度だ。土壌の水分も少なく、空気中の水分も少ない。他の条件として直射日光下で生育する種が多い。

僅かな降雨時により多くの水分を確保できるように、植物本体に帯水できるように進化した。

植物本体に水分を保存

 

ランとサボテンを比べてみると、共に根から水を吸収しにくい環境で生育し、かたや空気中の水分が多ければ、ランのような形状、つまり植物自体に水分をためようとはせず、空気中の水分を取り入れるのに有利な形状、スポンジ状の根を発達させ、空気中の水分が少なければサボテンのような形状、つまり植物自体に水分をためて乾燥に耐えようとする。

 

ランとサボテンは全く別の植物と思っていたが、貧水分という集合で括ると、両者の差が浮き上がって見える。



追記

 

空気中の水分をより多く吸収したければ、ひだをつけるなど、表面積を大きくすればよいのだが、それは同時に植物が持つ水分の蒸発量も大きくしてしまうので、良い解決策ではない。吸収しやすいが蒸発しにくい構造の難問にランが出した答えがスポンジ状物質で根を包むことだった。

 

直射日光に晒されるサボテンは可能な限り表面積を小さくして水分蒸発量を抑えたい。しかし体内に水分をより多く保存するためには蛇腹構造をより発達させたい。その妥協点がそれぞれの種の蛇腹の形態だったのである。

エッセイ サボテンの蛇腹構造 2024年4月9日

キンシャチが典型だが、多くのサボテンの形態は、波型が縦に入った蛇腹構造になっている。サボテンを育てて気づいたのだが、これはとても便利な構造なのである。

 

キンシャチ

 

サボテンの生育環境は、たまに雨が降るような気候である。雨が降った時にできる限り水を保存しておきたい。そしてその水を少しずつ使って代謝をして生きながらえる。水の保存場所は植物体そのものである。つまり植物体の体積の増減が激しい。そんな時、蛇腹構造は非常に便利なのである。雨が降ったときは蛇腹を広げて水分をたくさん溜め込む。晴天の日が続けば水分を少しずつ消費して蛇腹を狭めていく。

 

なのでサボテンの蛇腹を見ると、水が足りているかどうか、おおよそ分かる。蛇腹がしぼんでいたら、水をやるサインである。

 

多肉植物コノフィツムという種があるが、蛇腹が無く、円柱形である。この植物に水をやり過ぎると、水分を吸収しすぎて破裂してしまう。

コノフィツム南アフリカ周辺が原産だが、雨が降り続く環境では生育していないのだろう。

コノフィツム



 

自然は本当にうまくできていると思う。

 

追記

 

マミラリア属のように星形の構造も効果は同じである。

 

サボテン科マミラリア属の一種

 

ウクライナ戦争と核兵器 2024年4月9日

2022年2月に始まったウクライナ戦争の状況が1年ほど前から少しずつ変化している。ここでの変化の意味は、ウクライナがロシア国内を直接攻撃するようになってきている、という意味だ。

これまでアメリカを含むNATO加盟国が供与してきた兵器は、短距離ミサイルなど、ウクライナ領土内に侵攻しているロシア軍を攻撃する能力しか持っていなかった。もしくは攻撃しないことを約束させたうえでの武器供与だった。今でもその約束は有効なはずである。

 

理由は明らかで、ロシア国内を攻撃すると、ロシアの核兵器使用の可能性が高まるからだ。

 

ところが最近のニュースを見ていると、モスクワやウクライナ国境近くのロシア領土内へのドローン攻撃が増えてきている。

 

この変化はロシアの出方をうかがいながらズルズルと少しずつ進行している。出方をうかがっているのは、ウクライナではなく、NATO加盟国である。ロシアの反応を見ながら、供与する武器を選定している。つまりNATO加盟国が戦争初期に予想していた以上の攻撃能力を持った兵器供与の展開になっているのだ。何故そうなっているのかと言えば、ロシアが本気で核兵器を使おうとしていない、とNATO加盟国が受け取っているからである。

 

しかしこのままいつまでもズルズルとウクライナがロシア本土への攻撃を増大させることは出来ないだろう。ロシアは当然、核兵器使用のためのレッドラインを引いているはずである。その線を超えた時、国家存亡の危機と認識して核兵器を使用するだろう。

 

さて問題はどこまで行けばロシアが動くかである。

核兵器はこれまでの論理では、抑止を効かせるために使う用意があることを公言はするが、実際には使えない兵器、という認識だったと思う。

しかし実は使えるのか。またもし使うとしたら、どの程度まで追いつめられたら使えるのか。そして実際に使ったとき、NATO加盟国の市民がどのような反応をするのか、を欧米の政治家や軍事専門家は非常に興味を持って見守っていると思う。

 

ロシアの核兵器の使用法と世界の市民の反応は今後の政策に大きな影響を与えると思う。

 

もちろんロシアもそれを意識しているだろう。世界中の専門家が自分たちの行動を固唾をのんで見守っていることを意識しているはずである。どの時点で、どんな使い方をし、世界はどう反応するか。

 

もしロシアが核兵器を使った場合、アメリカはすでにそれに対してどう反応するかをシュミレーションしているだろう。自分たちが有利になるような反応を準備しているだろう。非難文の草稿も出来上がっているはずである。

 

もしロシアが核兵器ウクライナに使用したら、NATO加盟国はどう動くか。パワーポリティックスで有名なシカゴ大学国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは以下のように言っている。発言は2022年時だったと思う。

 

ロシアが核を使用した瞬間、すべてのウクライナ支援国はウクライナから手を引くであろう。なぜならウクライナの為に自国を核兵器の脅威にさらすことができないからだ。

 

補記

 

今回の戦争は、通常兵器しか持たない国が、核兵器を持つ国と、通常兵器で戦争をしたときの戦いかたのモデルを提供している。どこまで核兵器所有国に空爆してよいのか、地上部隊を入れてよいのか、など貴重な情報を提供している。

 

そしてこれは核兵器所有国同士の、通常兵器による戦闘でも参照されるだろう。特にインドとパキスタンは今後の戦闘のシュミレーションに応用するだろう。



本文は核兵器使用を前提に話を進めているが、私は使用に反対する。更に言えば、即時停戦を希望する。NATO加盟国はウクライナへの武器供与を即刻やめて、ウクライナに停戦交渉の席に着かせるべきだ、と思っている。

 

(ジョン・ミアシャイマーの発言   ユーチューブの動画で見たのだけれど、探せない。以下の動画を参照してください)

 

https://www.youtube.com/watch?v=on1RrmspFIQ

 

この動画自体は、ウクライナ戦争は簡単に避けることが出来た、という内容です。